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大家都去追求自己心中的梦想了,4年的大学时间就这样结束了,我愿意帮大家把大学的美好记忆都记录在这个博客里。期待着来访者留下的脚印!

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日本語の<危機>  

2008-10-21 21:17:08|  分类: 学生时代(打包文 |  标签: |举报 |字号 订阅

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本文转载于    宮島 達夫(京都橘女子大学)

特定領域研究「環太平洋の<消滅に瀕した言語>にかんする緊急調査研究」における

各班は,地域別に組織されているが,日本班はすこしちがう。すなわち,そこには琉球

語?本土各地方言とともに海外の日本語がふくまれ,一方アイヌ語は北太平洋地域には

いる。したがって,厳密には日本班というよりも日本語班である。

1.全体としての日本語

日本語全体がさしあたって危機状況にないことは,あきらかである。世界の言語の総

数を6000とし,100年後にそのうちの90%が消滅するとすれば,のこるのは6

00語,95%が消滅すれば,のこるのは300語であるが,日本語はその300語に

も当然はいる。(われわれが名まえをしっているような言語,たとえばオランダ語?デン

マーク語?ベトナム語?タイ語などは,すべて300語のなかにはいるだろう。)

日本語が安全かどうかは,時間の幅を考えにいれなければ,なんともいえない。おそ

らく何万年もつづいたであろう言語史の長さからみれば,これまでのところ,100年

や1000年という単位は,わずかなものにすぎない。いまから1000年まえ,とい

うと,ちょうど源氏物語や枕草子が書かれた時期だが,当時の人も言語の変化について

の意識はもっていた。清少納言は,このごろの若い人が「言はむとす」というべきとこ

ろを「言はむずる」という,となげいている。しかし,のちの日本語があづまえびすの

武蔵の国のことばを標準語にし,都のことばが京都方言としてあつかわれると知ったら,

たいへんなショックをうけただろう。また紫式部はインテリ女性が漢語をやたらにつか

う場面を描写しているが,唐?天竺をこえた,さらに西にも国があり,そこの言語が大

量に日本語にはいるとは,想像もつかなかっただろう。その変化は大きいといえば大き

いが,日本語は生きのびたのであり,日本語の基本的な構造はかわっていない。しかし,

いまから1000年後の状況は,まったく不明である。人類自身も地球上に存在するか

どうか,あやぶまれる。まして,言語の状況については推測することができない。われ

われがいえることは,今後100年のあいだに日本語が存亡の危機にみまわれる,とは

考えられない,ということである。

図1:主要言語における第1言語使用者の人口推定値:グラッドル(1999)

1 中国語 13.84 1 英語 78.150

2 ヒンディー語/ 2 日本語 42.400

ウルドゥー語 5.56 3 ドイツ語 24.550

3 英語 5.08 4 スペイン語 17.890

4 スペイン語 4.86 5 フランス語 15.570

5 アラビア語 4.82 6 中国語 9.850

6 ポルトガル語 2.48 7 ポルトガル語 6.110

7 べンガル語 2.29 8 アラビア語 4.080

8 ロシア語 1.32 9 ロシア語 3.630

9 日本語 1.08 10 ヒンディー語/

10 ドイツ語 0.91 ウルドゥー語 1.140

11 マレー語 0.80 11 イタリア語 1.110

12 フランス語 0.76 12 マレー語 790

13 ベンガル語 320

表1:2050 年における言語人口 表2:言語総生産

(単位?億人) (単位?億ドル)

グラッドル(1999)

グラッドルの著書は英語の将来について冷静にデータをあげて論じたものである。こ

れによれば,2050年の時点で言語人口のトップは依然として中国語であり,英語は

ヒンディー語?スペイン語?アラビア語などにおいつかれそうな形勢である。日本語の

人口は,やや下がり気味である。なお,「言語総生産」では日本語が世界第2位になって

いる。これは言語の活力の1つの指標になるだろう。この数字を単純に信用することは

むずかしいが,いずれにしても,言語を経済がささえる面があることはあきらかで,バ

ブル崩壊後も海外の日本語学習者の数はのびているのである。

しかし,100年という,言語史からみればまったくみじかい時間幅でも,日本語が

どのような意味でも安全だ,とはいえない。

言語政策の研究では,

席次計画(status planning) - 使用分野

実体計画(corpus planning) - 言語要素

という2つの面を区別する。この概念を言語学一般に拡張して,日本語全体についても,

方言についても,考えることができる。つぎの表は使用分野を大ざっぱにしめしたもの

である。

(○):まれに使う △:ナマリとして

標準語 琉球語 方言 旧植民地

書きことば ○ × × ×

放送 ○ (○) × ×

教育 ○ (○) (○) ×

公的会話 ○ △ △ ×

私的会話 ○ ○ ○ (○)

外との共通語 × × × (○)

使用分野という点では,個人的な日記から大学の授業にいたるまで,公私のあらゆる

面でつかうことができる日本語は,世界でも数すくない,ひろい領域をもつ言語だとい

える。われわれは自覚することがすくないが,自分の言語で学問的な論文?著書を発表

できる,というのは,たいへんなことである。それをささえているのは,まずは言語人

口のおおさという機械的な問題である。たとえば,フィンランド語の人口は500万,

日本語の20分の1以下である。日本で1200部うれる本がフィンランドでは50部

しかうれない計算になる。これでは,フィンランドの言語学がどんなにすすんでいても,

言語学の専門書を出版することはできない。しかし,これはまた人口だけできまる問題

ではない。ヒンディー語は何億もの話し手をもつインドの公用語だが,インドの大学で

は,おおくの授業が英語でなされる。これは,ひとつには,インドのなかに有力な言語

がいくつもあって,各地からくる学生の共通語が必要だからである。また,数年前にカ

イロ大学できいた話では,理工系の学部では英語で講義をしている,という。ここの学

生の母語は大部分アラビア語で,先生もアラビア語話者だろうが,それでも英語をつか

うのは,アラビア語の参考書や教科書がろくにない,アラビア語で論文をかいても,ど

うせほとんど読んでくれない,という理由による。それは残念ではないか,アラビア語

で講義をしようという動きはないのかときいたら,話は逆で,人文系でも英語をつかお

うという意見がつよいという。

これは,日本にとってもひとごとではない。今後は,留学生がふえるのにともなって,

工学や経済学の分野で英語での講義がふえるだろう。最近の新聞報道によれば,政府は

沖縄に科学技術系の大学院大学を設置,学生?教授とも半数を外国人ワクとして,講義

はすべて英語による方針,という。分野によっては,学問的な論文は英語,というのが

常識である。国際学会では英語がほとんど唯一の公用語で,日本でひらかれた学会で,

日本語をテーマにした分科会でも日本語の発言はゆるされない。国語学会の機関誌『国

語学』の読者は,すべて日本語のできる人のはずだが,裏表紙には英語の目次があり,

論文には英語の要旨をつけることが要求される。"Language"に日本語の要旨がのってい

れば,日本の言語研究にとって,どれほどありがたいことか,とおもう。

貿易などでは,もちろん事態がはるかにすすんでいる。日本の会社がヨーロッパやア

フリカ,さらにアジアの諸国と商談をするのには,英語をつかうはずだ。これもカイロ

大学できいた話だが,この権威ある国立大学の日本語科を卒業した学生が観光ガイドに

なる例がおおく,新聞でもたたかれたそうだ。しかし,日本語科の先生によれば,大体

カイロにある日本の会社で卒業生をやとってくれないのだから,しかたがない,という。

会社にしてみれば,仕事は英語でやる,日本語のできるエジプト人は必要ない,という

ことだろう。さらに,事態は国内にもおよび,会社のなかの公用語を英語に,という動

きがある。世界的にみて英語は圧倒的な力をもっており,それが日本の公用語になるか

どうかにかかわらず,事実上,すでに第2言語化しつつある,といっていいだろう。英

語の特権化は,日本語にかぎらず,世界中の言語にとって危機的状況をもたらす。(なお,

東アジアの共通語として,中国語がその地位をたかめる可能性も,ないことはない。)

使用分野での英語の勢力は,当然,言語要素の面にも反映している。すなわち英語系

外来語の急増である。技術などの分野の新語は,ほとんどそれであり,かつては「風と

共に去りぬ」のように訳された映画の題名も「セブン?イヤーズ?イン?チベット」の

ように原語のままはいってくる。日本語にしにくいから外来語がはいる,という言いわ

けは,このばあいには通用しないだろう。さらには,歌の文句など日本語と英語がチャ

ンポンにまじっているものもある。このまますすめば,どうなるか。日本人が英語もは

なせるバイリンガルになるのは,わるいことではないが,それが英語モノリンガルへの

道ではないという保証はない。シンガポールはもともと中国系が圧倒的だったのだが,

国際性をめざして英語を重視し,中国語の南洋大学を廃止するなど英語教育をすすめた。

その結果,子どもたちの英語は上達したが,中国語はおとろえた。安定的な二重言語生

活というのは,両言語が同等の力をもっているばあい以外はむずかしい。小学校への英

語導入という決断をするには,日本人が将来英語モノリンガルになる第一歩になるかも

しれない,という覚悟をしておく必要がある。

上に引用したグラッドルのグラフは各言語を第1言語とする人だけの統計である。し

かし,英語を第2言語とする人の数は,全世界で急速にふえている。そして,日本で問

題なのは外国語=英語,という傾向がとくにつよい,ということである。たとえば,韓

国では第1言語が英語であるだけでなく,中等教育に第2言語としてドイツ語?フラン

ス語?中国語?日本語などがはいっている。日本では隣の中国語?韓国語が中等教育で

ほとんど無視されているだけでなく,アジアの諸言語の教育は大学でもきわめて不十分

である。ベトナム?タイ?フィリピン?インドネシアなどの言語は,外国語大学以外に

どこでおしえられているのだろうか。日本語教育がこれらの国でさかんになる一方,ア

ジア各国からの移住者がふえているというのに。ただ,日本がいやおうなしに多言語化

するなかで,あかるい面もみられないことはない。たとえば,ここ数年,関西では町の

標識や市役所の係の名前に中国語?韓国語をいれている例がふえているようであり,こ

れは英語の絶対的地位を相対化するものとして評価できる。

2.琉球語

沖縄のことばが本土の日本語とひどくちがっている,というのは常識的にしられてい

るが,どの程度ちがうのか,実例をあげる。音韻表記したものと,その訳である(日本

放送協会1981)。場所は日本のいちばん西のはし,台湾のちかくにある与那国島租納

[sonai]である。これは,音韻表記をみても,まったく分からない。録音をきいても,な

おさら分からない。というより,とても日本語の方言ないし日本語の同系語とはおもえ

ない。ニューギニアで録音してきたものだ,といわれれば,そうか,とおもうようなも

のである。

これにくらべれば,那覇のことばで語られた桃太郎は,与那国よりも本土にちかく話の

中味がわかっているために,いくぶん分かりやすい。しかし,いきなり聞いたら,とて

も分からない,という点ではおなじである。

■沖縄方言(首里)による「桃太郎」

ンカシヌ クトゥドゥヤシガ アル トゥクマンカイタンメートゥ ンメーガ

昔の ことだけれども ある ところに おじいさんとおばあさんが

ウイビータン

いました.

アルフィー タンメーヤ ヤマンカイ タムントゥイガ ンメーヤ

ある日 おじいさんは 山へ しば かりに,おばあさんは

カーランカイ チン アレーガ イチャビタン

川へ せんたくに 行きました.

ンメーガ チン アラトータクトゥ カーラヌウィーカラ マギ ムムヌ

おばあさんが せんたくを していると 川の上から 大きな 桃が

ユットゥイ ユットゥイシ ナガリティ チャービタン

どんぶりこ どんぶりこと 流れて きました.

アキサミヨー アンシ マギサル ムム ヤイビーンナー

「まあ, なんて 大きな 桃 でしょう.

タンメートゥ タイシー クヮッチーサビラ ンディイチンメーヤ ムム

おじいさんと ふたりで 食べましょう」 といって,おばあさんは 桃を

スクティ ヤーカイ ムッチ ケーヤビタン

ひろって 家へ 持って 帰りました.

佐藤ほか編(1980)

「琉球語」については「琉球方言」「沖縄語」「沖縄方言」「南島方言」などの表現があ

り,日本語と同系統の別言語とするか,日本語のなかの方言とするか,両方のたちばが

あるが,どちらの名前をつかうにせよ,ヨーロッパの諸言語を基準にすれば,むしろ「~

語」とよぶ方がふさわしい。ドイツの社会言語学者H.Kloss は,言語とよばれるものに

Abstandsprache

Ausbausprache

の2つを区別した(Kloss1978)。これらは,それぞれ「隔絶言語,懸隔言語」,「造成言語,

拡充言語」などと訳されることもあるが,ここでは,かりに<へだたり言語>と<ねり

あげ言語>とよんでおく。Abstandsprache(へだたり言語)とは,言語構造それ自体か

らみて,あきらかに独立の言語であるものであり,たとえばスペインのバスク語や日本

のアイヌ語は,どうみてもスペイン語?日本語の方言とはいえない。Ausbausprache(ね

りあげ言語)とは,近代国家が成立するにともなって,公用語として整備されたために

独立の言語とみとめられるようになったものである。オランダ語は,もしオランダがド

イツの一部にとどまったとすれば,いまのスイスドイツ語が方言とよばれるように,ド

イツ語の1つの方言とみなされただろう。

「琉球語」「琉球方言」両方の表現があることは,これが<へだたり言語>ともみられ

ることを意味する。もし沖縄が独立して,自分たちの言語を標準語にしたら,当然それ

は「琉球語」ないし「沖縄語」とよばれる,日本語とは別の言語になっただろう。しか

し,琉球が独立の王国だった時代にも,書きことばは一貫して漢文であり,琉球語の標

準語化?書きことば化の努力はされなかった。ただし,沖縄では,短時間ではあるが,

民間放送のラジオ番組で方言によるニュースが定期的にながされている,という点が,

本土の諸方言とはちがう。ローカルな話題だけでなく,全国的な政治も国際問題も,琉

球語でつたえられるのである。独自の標準語にむかって一歩ふみだした,ともいえる。

ヨーロッパには近代国家の成立にともなう<ねりあげ言語>がおおい。それらのあい

だでは,別の言語といわれていても,ある程度の伝達が可能なばあいがある。たとえば,

ノルウェー語?スウェーデン語?デンマーク語の話し手のあいだでは学習しなくてもお

たがいの言語がわかるので,それぞれ相手の言語の説明をききながら,観光バスにのっ

ている。これは日本でいえば京都で「右は清水寺どすえ」などという説明をされてもこ

まらないようなもので,要するに日本へもってくれば方言の差にすぎない。北欧出身の

社会言語学者E.Haugen は, このような現象をsemicommunication と名づけた

(Haugen1987)が,おたがいに理解可能なのが方言,理解不可能なのが言語,という常識

的な基準によれば,北欧諸語は方言であり,これにたいして琉球のことばは別の言語で

ある。Kloss の名づけによれば,scheindialektarisierte Sprache(擬似方言言語)と

いうべきものである。中国語の方言とされながら,やはり独自のラジオ番組をもつ上海

語や広東語などもおなじ類に属する。

沖縄は,島ごとの方言差がおおきく,むかしは通訳が必要だった,といわれたほどで

ある。その諸方言が急速になくなりつつある。

図2:沖縄の言語状況モデル:井上(2000)

このグラフは,その概観的なモデルである。「沖縄大和口」というのは中間的な形式で

あるが,これも安定しているわけではない。本土の方言なら,いまの若いものは方言を

わすれている,といって老人がなげくところだが,沖縄では,おなじ家庭のなかで,祖

父の世代の方言が孫に通ぜず,父の世代がかろうじて両方の言語を理解する,という悲

劇的な状況がおこった。最近の中国残留孤児やベトナム難民の家庭など,少数民族の家

庭と同様である。それも,さらにすすんで,祖父の世代がきえていき,方言を話せる人

がへっている。NHKのドラマ「ちゅらさん」にみるように,家庭内の会話は本土とか

わりない。

ア イ ウ1 2 3

北 部 8.0 21.0 10.0 27.0 34.0

中 部 0.4 36.5 2.6 34.0 27.0

南 郡 7.7 18.6 8.1 39.3 24.3

那 覇 0.7 33.1 2.9 36.0 26.3

宮 古 4.6 50.6 3.1 30.1 9.7

八重山 0.6 42.9 5.0 27.5 21.4

平 均 3.7 33.8 5.3 32.3 23.8

ア…方言で話す。

イ…標準語で話す。

ウ…方言と標準語の両方使う。

1.方言が多い。

2.標準語が多い。

3.方言と標準語と同じくらい。

表3:沖縄の家庭における言語:町(1996)

この表によれば,地域差はあるが,<ア 方言で話す>と<ウ1 方言が多い>とを

合計しても,平均でわずかに9%であり,家庭でおもに方言をつかうのは1割にみたな

いのである。しかも,この表は本永守靖[1979]の報告によるもので,20年たった現在

では,いっそう事態がすすんでいるものとおもわれる。

3.方言

沖縄のことは別にしても,日本国内の伝統的方言は,かなり大きな差をもっていた。

行政的には東京都に属する,八丈島の方言でかたられた桃太郎は,つぎのようなもので

ある。

■東京都八丈島方言による「桃太郎」

ムカシムカシネー アロトコロン オーチャト バンマガ オジャラッテーヤ

昔,昔 あるところに おじいさんと おばあさんが いました.

ソシテネイ アロヒ オーチャワ ヤメー シボーカリン バンマワ コーエ

そして ある日 おじいさんは 山へ しばかりに, おばあさんは 川ヘ

アレーモンニ オジャラッテイヤ バンマガ アレーモンヨ シテアルト

せんたくに 行きました. おばあさんが せんたくを していると,

コーノ ウェーイカラ ボーケ モモガ ドンブラコドンブラコト ナガレテキタッテ

ーヤ

川の 上の方から 大きな 桃が どんぶらこどんぶらこと 流れてきました.

アイヤイヤイ アンテ ボーケ モモダロー オーチャト フタリデ カモーヨ ト

「まあ, なんて 大きな 桃でしょう.おじいさんと ふたりで 食べましょう」と

オジャッテ バンマワ モモー ヒロッテ ウチエ モッテ ケーリヤラッテーヤ

いって, おばあさんは 桃を ひろって 家へ 持って 帰りました.

佐藤ほか編(1980)

岩手県気仙郡の医師?山浦玄嗣氏は気仙地方の方言を「ケセン語」と名づけて,ロー

マ字表記の独自の表記を考案し,日本語で『ケセン語入門』を書き,さらに大冊2巻の

『ケセン語大辞典』を刊行した。沖縄だけではなく,八丈島方言もケセン語も,その地

方が国家として独立していたら,独立の言語であっておかしくないものである。ヨーロ

ッパにかぎらず,インドやアフリカの諸言語のなかにも,日本語の方言程度の差ではな

いのか,とおもわれるばあいがある。

この数十年で標準語が普及したことは,あきらかである。まえには標準語をきいてわ

からない,という人がいたようだが,いまでは,どんな僻地へいっても,そういう例は

ないだろう。また,テレビをみていても,すくなくとも中年以下の人たちのことばは,

ほかの地方の人がきいてわからない,というものではない。母語すなわち母のことばと

いうのは,母の方言であるはずだが,いまや母のことばよりも影響力のつよいのはテレ

ビである。母が仕事にでているあいだ,子どもの相手をするのはテレビである。

標準語の普及は同時に方言のおとろえを意味する。以下,いくつかの調査結果を引用

する。

図3:共通語化の直線モデル:井上(2000)

井上の予測によれば,2035年ごろにうまれた人は,ほぼ完全に方言固有の単語を

うしなうだろう,という。この推測は,つぎのようにしてなされた。国立国語研究所の

『日本言語地図』の調査がなされたのは1957~64年にかけての8年間である。当

時60代になった人をしらべたので,ほぼ1890年ごろにうまれた人である。この人

たちの標準語形使用率が37%。一方,1980年前後にうまれた人について,おなじ

調査をしてみると,標準語使用率は76%である。この結果を機械的に延長すると,標

準語化は1805年ごろにはじまり,2035年ごろに完成することになる。

YONEDA は,国立国語研究所が山形県鶴岡市で20年間隔でおこなった3回の調査のま

とめである。音声の調査では,2回目の1971年の時点でわかい層はほぼ満点(30

点)に近い成績をおさめている。アクセントの調査でも,1950年の調査では8割ち

かくが0点だったのに,1991年には0点が10%台に下がっている。

図4:地方都市における発音の変化:Yoneda(1997)

つぎの図は,おなじ鶴岡調査の場面差の部分である。

図5:場面によることばの使い分け:国立国語研究所(1974)

ちょっと見にくい図であるが,たとえば,旅人にたいして方言をつかう比率が,195

0年の30%台から1971年の10%ちかくまで下がっていることがわかる。

このような傾向は,ほかの調査からもわかるが,それと同時にだいじなのは,方言の

性格がかわった,という質的な面である。小林は,これをシステムからスタイルへ,と

いう形でまとめている。

図6:方言の過去と未来:小林(1996)

かつては,方言はもっぱら地域的な限定によって特徴づけられただけであり,ある地

域においては,すべての用途,すべての場面でもちいられる言語だった。それと独立の

言語との差は,まわりに類似の言語体系があるかどうかによるだけである。しかし,い

までは,各地にすむ人たちの言語生活のおおくは,どの地域でも標準語がになっている。

まずは学校生活?かきことば?テレビのように,伝統的な生活になかった部分に標準語

がはいりこみ,つぎには結婚式のあいさつや部落の会合など,やや公的な場における言

語にも,それが浸透してきている。こうして,すべての人が標準語と方言とを場面によ

って使い分ける二重言語生活,という未来図をえがくこともできる。問題は,これが安

定したものなのか,ということである。二重言語生活はしばしば単一言語への過渡期的

な形にすぎない。いまの若い人たちが,たくみに標準語と方言を使い分けたとしても,

その方言は,老人からみれば,しだいに本来の姿から離れたものになっていく。「発音や

文法的骨格,事物?概念を表す語彙など,言語にとって基本的な部分は共通語で固めら

れた上に,感情表出に関わる単語や終助詞などに方言的要素を散りばめるといった程度

のものが,今や方言的な会話の実態になっている。」(小林1999)それでも,方言は,仲

間意識の確認(「ふるさとのなまりなつかし」)といった感情的な機能をはたすことがで

きるのである。

ただし,全国の方言をひとまとめにして論じることはできない。伝統的方言の抵抗力

は,地域によってちがう。1000年以上日本の中心だった,というほこりをもつ関西

は,抵抗力がもっともつよいだろう。わたしは,おそらくいちばん方言コンプレックス

のつよい茨城県の出身である。もう50年もまえに,金田一春彦先生の方言学の授業で

うかがった話だが,全国各地に「いや,この辺のことばはきたなくて」という人がいる,

しかし,たいていは,そのあとに「でも,となりの~地方のことばは,もっときたない

ですよ」とつづく。この前半分,「ここはことばがきたない」だけで「となりはもっとき

たない」といわない地方がある,それは茨城?栃木だ,ということだった。茨城?栃木

は言語的には東北方言の一部である。東京にちかいだけに,東北の人よりも東京人に接

して屈辱感をあじわう機会がおおく,そのためコンプレックスをふかめたのだろう。わ

たしは,いまでも,関西の人が東京で友人に会ったとき,さっと関西弁にきりかえるの

をみると,うらやましくてたまらない。言語研究者として,わたしも理屈では「天は言

語の上に言語をつくらず」,方言に優劣の差はない,と信じている。しかし,東京の電車

のなかで「ホラ,アスクニ イガイ タデモノ アッペナ。アレ トーキョータワーッ

チンダド。」とは,死んでもいえない。小学校の同窓会でつかうことばは,いまでもそう

いうものだが,若い人のことばがどんどんかわっていくのは,あきらかである。

一見,方言衰退に逆行するようにみえる現象がある。ここでは,3つの例をあげる。

第1に,方言行事とでもよぶべきものである。いま,全国各地で方言の保護運動がも

りあがり,方言による弁論大会や方言劇がさかんだという。これも,方言が衰退したか

らである。スズメやカラスは,だれも保護しない。保護するのは,絶滅寸前になったト

キである。一昔まえは,方言を笑われたために自殺した,というような事件がよくおこ

ったが,いまではなくなった。標準語の力が安定したから,方言に関心をむける余裕が

できたのである。それは,小林氏の表現をつかえば,方言の文化財的保存であって,日

常語としての方言復活ではない。伝統的方言の流ちょうな話し手を無形文化財保持者と

して指定するくらいのことは,考えてもいい。年に1度の祭りに,方言劇を上演するの

もいいことである。しかし,それは日常語としての方言の維持とはちがう。

第2に,いわゆる新方言がある。「駐車場」と「モータープール」,マクドナルドの略

語としての「マック」と「マクド」などの例である。どちらも後者は関西でつかわれる。

このような地域独特の表現は,今後もなくならないだろう。それは昔からあったのだが,

最近気づかれるようになっただけである。

第3に,関西方言の活力がある。テレビなどを通じて全国化する一方,九州に影響を

およぼして「~ジャ」から「~ヤ」への変化をひきおこす,といった現象がある。もと

もと,東日本が「~ダ」,関西が「~ヤ」,そこから西が「~ジャ」という分布だったの

だが,「~ジャ」の地帯に「~ヤ」が進出しつつある。たしかに,関西方言は全国のなか

でももっとも元気な方言だろう。しかし,一方ではそこにも東からの影響があり,「サカ

イ→カラ」「ワロータ→ワラッタ」などの変化が進行しているのである。

4.旧植民地の日本語

海外の日本語,といえばパリもハワイもブラジルもふくまれるが,ここでは旧植民地

の日本語を対象とする。さらに具体的にいえば,日本班が調査しているのは,台湾とミ

クロネシアに残存する日本語である。1945年までの日本領有期間は台湾で50年,

朝鮮?韓国で35年,ミクロネシアで30年だった。(ミクロネシアは形式的には日本の

委任統治領だが,実質的には植民地とおなじである。)

もともと台湾はフィリピンやインドネシアにつながるオーストロネシア系の言語をは

なす人たちがすんでおり,17世紀以後大量の中国人がはいってきた。日本時代は「高

砂族」,現在は「高山族」とよばれる先住民族は,いまは数%にすぎない。(戦時中,<

高砂義勇隊>の1員として日本軍にいた老人は,フィリピンにいったら現地のことばが

「わかった」,さらにマレーシアにいっても「わかった」という。どの程度の理解かは不

明だが,本人がそう感じたのはたしかだろう。)台湾にきた中国人の大部分は対岸の福建

省に通じるミンナン語をはなし,一部は客家語をはなす。さらに,戦後は大陸から大量

の中国人(「外省人」という)がわたってきて,北京語が標準語になった。

領有のながかった台湾では,母語(第1言語)が日本語である人もでてきた。日本時

代の台湾には「国語常用家庭」という制度があり,家庭のなかでも日本語をつかいます

といって審査にパスすると,そういう標識を門にかかげて,いろいろ特権をうけること

ができた。実際には,パスしてしまえば,家庭のなかのことだから,ごまかすこともで

きたわけだが,日本文学を専門とする,台湾のある大学教授は,両親がほんとうに日本

語だけではなしていたので,自分も日本語しか知らなかったという。家のそとで友だち

とはなすのも当然日本語である。終戦当時は中学生で,それから中国語(北京語とミン

ナン語の両方)を学習しておぼえたという。現在は北京語で授業をしているが,仕事の

うえで日本語の文献をよみ,日本人と接する機会もおおいので,かれのことばは日本内

地の老年層と変わりない。その日本語を調査の対象とする気には,あまりならないが,

そういう人がいること自体は興味があり,記録しておく価値がある。ミクロネシアには,

それに近い例はあっても,日本語が母語になるには日本統治の時間が短すぎた。しかし,

サイパンのある話者は,同年輩のものがあつまって酒をのんでいると,いつのまにか日

本語になることがある,といっていた。母語のすこし手前までは事態が進行していたの

だろう。

台湾の少数民族のあいだで共通に理解できる言語がなかったために日本語がその役割

をはたし,そのために戦後も中国系の人のあいだよりも維持された,というのは,よく

知られた事実である。

図7:アタヤル族老年層の言語生活:簡(2000)

この図から,日本語がつかわれるおもな場面は市場であること,暗算や祈りにも一部

つかわれていること,また子どもとの会話はアタヤル語だが,孫とのあいだでは北京語

が優勢になりつつあること,などがわかる。なお,おなじときの調査によれば,中国系

の人も市場で異なる言語の話し手とのあいだで日本語をつかうことがあるそうである。

おなじことは,ミクロネシアについてもいえる。やはり島ごとにちがう言語のあいだを

むすぶ共通語のはたらきをしたのである(由井2000)。ただし,若年層では,この共通

語的機能は中国語(台湾)?英語(ミクロネシア)がになうようになっている。

現地人のあいだの共通語以外の機能としては,日本人との交流がある。ミクロネシア

でも,多少は日本からの観光客との会話に役立っている。台湾からは,日本への観光客

がおおく,南部の少数民族のおばあさんが「先日も1週間九州へいってきましたよ」な

どといったのには,おどろいた。(なお,台湾では最近北海道の人気がたかいという。)

また,台湾ではケーブルテレビが普及していて日本の番組をみることもでき,北京語の

苦手なミンナン語話者の老人がNHKのニュースの方が理解しやすいといっている例も

ある。われわれは,なんとなく1945年以後は日本語からのあたらしい影響はなく,

いわばその時点で缶詰め状態になった日本語が残存している,と考えがちだが,かなら

ずしも,そうではない。缶詰めの日本語を調査するには,すこしおそすぎたかもしれな

い。

言語構造の面では,台湾の残存日本語では存在の「オル」やそこから派生したアスペ

クト形式の「トル」がよくつかわれる。「野菜を(ニルではなく)タク」という表現もき

かれ,西日本からの影響が感じられる。

この分野は,ほかの班の対象とは,かなりちがう。すなわち,ほかの言語?方言が伝

統的にうけつがれてきたものであるのに対し,それは日本帝国主義によって強制的にお

しつけられた遺産であり,考え方によっては,なくなって当然なのである。ほかでは消

滅をおしむ感情があるのが自然だが,ここではむしろ話し手にとっても消滅してほしい

言語である。ある人は「やっとこのごろ日本語をわすれることができた」とのべたとい

う。(この話はたぶん朝鮮だったとおもうが,記録していない。)努力してあたらしい言

語をおぼえ,努力しなくてもわすれる,というのがふつうである。わすれるのに努力す

ることはない。自分の身にしみついた言語を必死になって洗いおとそうとするとは,な

んとかなしい話だろうか。それは,言語をおしつけた側である日本人の想像をこえてい

る。

ほかの言語?方言では,自分たちがいなくなればその言語がなくなる,わかいものは

伝統的な方言をはなさなくなって残念だ,といった認識があるから,調査に対する理解

もあるだろう。しかし,日本語自体がなくなる危険性がないのに,なぜ自分たちの(不

完全な)日本語を記録しようとするのか,疑問におもっても,当然である。

いちばんかんたんな答えは,「そこに日本語があるからだ」というものである。登山家

が登山の理由をきかれて「そこに山があるからだ」と答えるように。このたちばにたて

ば,旧植民地の日本語は,興味ぶかいものがある。

しかし,それらは要するに言語研究者のエゴイズムだ,といわれても,しかたがない。

現地の人たちにとって,日本語がマイナスの意味しかもっていないとすれば,その研究

はいったいどんな意味をもつのか。この問いは,たえずわれわれにつきまとっている,

苦しい問いかけである。そして,まずそれにきちんとした答えをだしてから,という時

間的な余裕はない。調査をすすめながら意味づけを反省する,ということでいくしかな

いだろう。

日本語の強制をふくめて,日本の統治が旧植民地に近代化をもたらした,という意見

もあるが,それは基本的にまちがいであろう。植民地化が悪であったことは否定できな

い。しかし,個人個人をとれば,日本語学習がプラスになったばあいがあることも,事

実である。台湾やミクロネシアにおける民族間の共通語としての役割,現在における日

本人観光客との接触,日本への観光旅行などにおいて,わずかな例であっても,ある個

人にとっては日本語が役立った実例があることは,研究するものにとっては,せめても

のなぐさめである。

旧植民地として朝鮮半島や中国大陸よりも台湾とミクロネシアをえらんだのも,反日

感情がすくなく,調査がスムーズにいくだろうというのが1つの理由である。事実,た

えずひけめを感じながらの調査であるにもかかわらず,日本人の調査者があからさまな

敵意でむかえられたということはなかった。ただし,これはあくまで表面的な現象で,

内面において現地人がどう感じているかは,わからない。

ある言語をまもるか,別の言語にのりかえるかは,その言語の話し手自身がきめるべ

きことである。同様に,話し手自身が自分の言語について判断し,価値があるとみとめ

るならば研究にすすむことが望ましい。この点で希望がもてるのは,台湾や韓国で現地

の日本語研究者が旧植民地の言語の調査に手をつけはじめたことである。現地の研究者

が中心になり,日本人研究者は必要に応じてその補助をする,というのが理想的な形で

あろう。(ただし,これはミクロネシアではむずかしいかもしれない。)うえに簡月真の

論文を引用したが,彼女は台湾から大阪大学大学院に留学中で,本プロジェクトの協力

者であり,まさにこの調査を通じて社会言語学者として成長しつつある。また,ほかに

も台湾の大学の日本語科で同様の調査をめざす動きが出てきた。このような動向のきっ

かけを作ったという点で,日本人研究者による今回のプロジェクトも意味があったと考

える。

なお,韓国では台湾よりも対日感情がきびしいので,調査がむずかしいだろうという

判断があったのだが,最近の情報によれば,日本人による植民地時代の日本語の調査を

受け入れる空気ができてきつつある,という。その実例として,韓国の日本語学科に留

学して,老年層韓国人の日本語をテープにとって分析し,修士論文をしあげた日本人学

生もいる。植民地時代の日本語教育をうけた世代が各地とも老齢化しつつある現在,貴

重な研究である。

おわりに

1999年になくなった徳川宗賢氏は「ナマの方言に接することができるのは,いま

が最後の機会ではないか,21世紀は文献方言学の時代にはいるかもしれない」といっ

たことがある。意外にはやく,その時代が来そうである。そうなると,まず貴重なのは

録音資料である。これについては,山口(1984)を参照。いまでも,すでに戦前の東京や

上方のレコードは近代語研究者によって利用されはじめている。やがては,アイヌ語蝋

管録音の例にみるように,各地の録音テープをさがすのが,方言学者の基礎的作業にな

るかもしれない。つぎには文字化された資料である。録音がないばあいには,これも大

事なものである。ただし,その信頼性はさまざまで,批判的にあつかう必要があるだろ

う。わたしにとって身近な例をあげる。茨城出身の作家?長塚節には『土』という小説

がある。ここに出てくる方言20語について,半数以上の人が知っているとこたえたの

は,

7?80代 12語/5?60代 9語/3?40代 6語/20代 1語

だった(宮島2000)。『土』の執筆は1910年であり,現代方言というより,すでに方

言史の資料に近くなっているのである。では,これは方言の記録としてどの程度正確な

のか。わたしが学生だった1950年代には,節(1879-1915)の生前をしっている同年輩

の人がまだ健在だった。『土』に出てくる,ある方言について,地元で「昔はこんな言い

方をしましたか」とたずねたところ,節の友人だった人が,しばらく考えたあとで「昔

どうだったか,よくおぼえていないが,節さんがそう書いているのなら,若いころはそ

う言っていたのでしょう」とこたえた。自分の記憶よりも『土』の記述を信用するとい

うほど,この作品の茨城方言は忠実に記録されているのである。

失われつつある言語?方言は,いまこそ調査の必要がある。万葉?源氏は,写本さえ

きちんと保存してあれば,あとになってからでも研究できるが,こちらは,そういかな

いのである。そして,あとになれば,直接の記録だけでなく言語をめぐるエピソードで

も価値があることになるだろう。幕末に薩長の武士と東北の武士とが謡曲で方言差をの

りこえた,という話は,根拠がはっきりしないらしいが,すくなくとも,そのような話

が真実味をもって語りつがれたという事実はある。ここで,台湾や茨城について,いく

つかのエピソードを紹介したのも,それらが何らかの価値をもつと考えたからである。

(参考文献)

井上史雄(2000)「標準語?方言?新方言の一世紀」(『国文学解釈と鑑賞』1 月号)

江川 清(1986)「方言の変容」(『講座方言学 1 方言概説』国書刊行会)

簡 月真(2000)「台湾の日本語」(『国文学解釈と鑑賞』7 月号)

環太平洋の「消滅に瀕した言語」にかんする緊急調査研究(C001)

『危機に瀕した言語について 講演集(一)』(2000)

上村幸雄「日本における危機に瀕する言語および関連する言語学上の諸問題」

環太平洋の「消滅に瀕した言語」にかんする緊急調査研究(A4-001)

『日本語の消滅に瀕した方言に関する調査研究』(2001)

かりまた しげひさ「琉球語のなかの危機言語」

簡 月真「リンガフランカとして生きている台湾の日本語」

渋谷勝己[パラオにおける日本語残存の実態」

D.グラッドル[山岸勝栄訳](1999)『英語の未来』(研究社出版)

国立国語研究所(1974)『地域社会の言語生活-鶴岡における20 年前との比較』

(秀英出版)

小林隆(1999)「日本語方言の危機に臨んで」(『言語』10 月号)

小林隆?篠崎晃一?大西拓一郎(1996)『方言の現在』(明治書院)

小林 隆「現代方言の特質」

佐藤亮一「方言の衰退と安定」

町 博光「中間方言の形成 - 琉球方言の現状と新沖縄口の展開」

佐藤亮一?真田信治?沢木幹栄編(1980)『NHK 日本の方言』(NHK サービスセンター)

日本放送協会(1981)『全国方言資料 第11 巻琉球編Ⅱ』(日本放送出版協会)

宮島達夫(2000)「長塚節『土』の方言はわかるか」(『国文学解釈と鑑賞』1 月号)

山口幸洋(1984)「方言録音資料 - 方言学将来の柱」(加藤正信編『新しい方言研究』至

文堂)

由井 紀久子(2000)「ミクロネシアの日本語」(『国文学解釈と鑑賞』7 月号)

Haugen,Einar(1987),Blessing of Babel: Bilingualism and Language Planning,

Mouton de Gruyter.

Kloss,Heinz(1978),Die Entwicklung neuer germanischer Kultursprachen seit 1800

(2nd ed.),Schwann.

Yoneda,Masato(1997)Survey of standardization in Tsuruoka, Japan:comparison of

results from three surveys conducted at 20-years intervals.

(『日本語科学 2』)__

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